LOGIN軍議が終わり、諸侯達がそれぞれの持ち場へと散っていく。
アルは私の手を取って優しくエスコートしてくれた。
「リリー、体調は大丈夫? 少し外の空気を吸っていこうか」
私はその言葉に頷いて、一緒に歩き出す。
王宮から離宮までは散歩に丁度いい距離で、重苦しい軍議からの息抜きには最適だった。
途中の中庭で足を止め、東屋で一休みする。
お腹の膨らみは日に日に大きくなって、歩くのも大変だ。最近ではお腹を蹴ることもあって、元気に育ってくれているのが嬉しい。
アルもお腹を撫でながら語りかけてくれる。
「今日も元気だね。会えるのはまだ先か……その頃には、この騒動も収まってるといいね」
そう言って微笑むアルに、私は頷く。
「はい。この子や、これから生まれてくる命が脅かされることの無いよう、頑張らなければ」
この戦は、何もヴィスハイムやアックティカ、トスカリャだけの問題ではない。アックティカが鎖国したことで
野菜の品不足による高騰、そして栄養の偏りから引き起こされる病も深刻化して来ていた。
農業とは、一朝一夕で補えるものではない。土づくりから、種植え、田畑の管理、収穫まで多くの手順が必要なのだから。
他にも農業国家はいくつかあるものの、市場に出回るには時間がかかってしまう。
そしてこういう時には悪漢がのさばるのが世の常だ。
商品を買い占め、法外な値段で売りつける者が既に現れ始めていた。これも鎖国の悪影響のひとつだろう。
思わずため息が零れると、アルが私の頬を
「い、いひゃい」
抗議の声を上げる私に、アルはぷっと吹き出す。
「リリー? しかめっ面になってるよ? それも可愛いけど、笑ってほしいな」
ぷにぷにと頬をつつきながら、アルは首を傾げる。
「あれ……少しふくよかになった? 触り心地最高なんだけど……」
軍議が終わり、諸侯達がそれぞれの持ち場へと散っていく。 アルは私の手を取って優しくエスコートしてくれた。「リリー、体調は大丈夫? 少し外の空気を吸っていこうか」 私はその言葉に頷いて、一緒に歩き出す。 王宮から離宮までは散歩に丁度いい距離で、重苦しい軍議からの息抜きには最適だった。 途中の中庭で足を止め、東屋で一休みする。 お腹の膨らみは日に日に大きくなって、歩くのも大変だ。最近ではお腹を蹴ることもあって、元気に育ってくれているのが嬉しい。 アルもお腹を撫でながら語りかけてくれる。「今日も元気だね。会えるのはまだ先か……その頃には、この騒動も収まってるといいね」 そう言って微笑むアルに、私は頷く。「はい。この子や、これから生まれてくる命が脅かされることの無いよう、頑張らなければ」 この戦は、何もヴィスハイムやアックティカ、トスカリャだけの問題ではない。アックティカが鎖国したことで市場は崩れ、その影響は世界各国に及んでいる。 野菜の品不足による高騰、そして栄養の偏りから引き起こされる病も深刻化して来ていた。 農業とは、一朝一夕で補えるものではない。土づくりから、種植え、田畑の管理、収穫まで多くの手順が必要なのだから。 他にも農業国家はいくつかあるものの、市場に出回るには時間がかかってしまう。商隊の数にも限りがあり、商家も対応に追われている。 そしてこういう時には悪漢がのさばるのが世の常だ。 商品を買い占め、法外な値段で売りつける者が既に現れ始めていた。これも鎖国の悪影響のひとつだろう。 思わずため息が零れると、アルが私の頬を抓った。「い、いひゃい」 抗議の声を上げる私に、アルはぷっと吹き出す。「リリー? しかめっ面になってるよ? それも可愛いけど、笑ってほしいな」 ぷにぷにと頬をつつきながら、アルは首を傾げる。「あれ……少しふくよかになった? 触り心地最高なんだけど……」
視線が集まる中、私は口を開く。「アックティカは農業国家です。領土には田園が広がり、梟が生息できるほどの森はありません。あるとすれば、それは……」 陛下がその後を継いだ。「テューフグリューン……か……」 私は静かに頷く。「はい。その言葉を告げたのも、アックティカやトスカリャとは違う装束の者でした。現地へ赴いた兵士とは会話ができませんから、それ以上は分かりませんでしたが、狡猾な梟が動くことは間違いないかと」 私の言葉に、諸侯がざわめく。その中をアルは静かに私に寄り添い、肩を抱いて陛下を見据えた。「その件に関しましては、私も兵士と面談し、過去視にて確認いたしました。必要であれば召喚も可能です」 その言葉が後押しとなって、一同は納得したように頷き合う。 アルは私を見つめてふわりと微笑んだ。 やはり、アルがかつて語った番は、お互いを補い合う存在と言えるのだろう。私の遠見を、アルが過去視で確認することで、こうして諸侯を納得させられる。 これが私ひとりでは、そうもいかない。 そもそも、アルと出会わなければ発現しなかった力だ。それはアルも同じ。 精霊王の契約によって穿たれた楔は、私達の絆となっている。 陛下と王妃様もそうなんだろう。 こうして王妃様が軍議に参加すること自体、他国では珍しい。戦は男の仕事というのがごく一般的で、それは戦う力があること、そして子を産む女を守るため、ある種の本能とも呼べるものだ。 だけど私達は手を取り合うことで、更に善き方向へと進める。 地域によっては女性の地位が著しく低く、陽の下を歩くことさえ難しい国が実在する。それが悪だとは言わない。それに至る歴史があり、価値観があるからだ。 精霊王がヴィスハイムと契約した経緯も、その内のひとつでしかない。 そして、アックティカやトスカリャも。 今、まさに歴史が動いている。 悪しき君主が誕生したのも、何か意味があるのかもしれない。 アルの優しい眼差しに応えながら、私は想いを馳せる。 果たして私達は勝つことができるのか。 民を、愛する人達を守ることができるのか。 テューフグリューンを制することが、その結果に直結する。 陛下は静かに顔を上げると、凛とした声で判断を下す。「ホルター、テューフグリューンに罠を施せ。見破られても構わ
「しかしながら」 ホルター様の硬い声が部屋に響く。「傭兵の動きを封じることができなければ、王都に被害が及ぶのは必定。如何に対応するかが問われます」 一同の視線が集中する中で、王妃様が口を開く。「現時点で、私には王都が燃える未来は視えません……ですが、黒い影が視えるのもまた事実。陛下、いかがいたしますか?」 そこには、いつもの穏やかなやり取りは存在しなかった。軍議の場で、公私を混同していては臣下に示しがつかないからだ。それは私も見習うべき点であり、次代の王妃として、その凛とした姿を目に焼き付けた。 陛下は思案すると、ホルター様に視線を向ける。「敵軍が到着する前に、罠を仕掛けることは可能か? 奴らは鼻が利くから効果は無いだろうが、進路を誘導し、森を抜けた先で討つ」 陛下の言葉に、ホルター様も頷いた。「それがよろしいかと。アックティカの民兵は、鎖国によって既に疲弊しております。トスカリャも、山間トンネルの強行により頭数は減っていると見てよいでしょう」 そして、ひとつの大きい黒い駒を動かす。それは森を真っすぐ抜け、ルストニカ平原へと至った。「一番憂慮すべきは傭兵団の頭目、狡猾な梟。その名が表す通り、狡猾で残忍な人物です」 低く唸るようなホルター様の声に、部屋に重い空気が広がる。「本名不明、性別も年齢も不明の不気味な存在です。かつてアックティカの行った川への毒物投与、それも奴の指示だと噂されております。たかが噂、されど無視するにはあまりに危険です」 みなの視線が陛下に集中する。アルも、陛下の隣で思案していた。
ルストニカ平原は、国境の森から約二日の距離にある。 このままアックティカとトスカリャが進軍を続ければ、一週間後には森に辿り着くだろう。そこで叩かない理由は、ゲリラ戦を得意とする傭兵がいるためだった。 ルストニカ平原で布陣を築けば、我が軍は迎え撃つ体制を整え、王都を戦火から守ることもできる。しかし、それは相手も重々承知しているはずだ。 そうなれば、やはりこの戦の肝は国境の森、テューフグリューンが握っている。 平原を横断するこの森は、越えるだけなら半日程度の深さしかない。けれど、東西に長く伸び、その樹影に潜み後方に回られてしまう危険性も持ち合わせている。補給路が立たれれば、勝てる戦も勝てなくなるのは必定だ。 今開かれている軍議も、まさにその件についてのもの。 私は身重のため着席を許され、椅子に座ってその様子を見つめる。 主だった貴族が陛下を中心に円卓を囲み、ざっくりと描かれた地図に注視していた。陛下から見て下方にカイザークの国旗、中央にテューフグリューンを示す緑の線、その上にアックティカとトスカリャの国旗が描かれている。カイザークには青、アックティカには赤と黒の駒が複数配置され、白い髭を蓄えた元帥、ホルター様が場を仕切って声を上げた。「十中八九、敵は傭兵を重用するでしょう。陽動、攪乱、そして補給路の断絶を狙って行動すると予想します」 ホルター様は黒い駒を、緑の線の上へ移動させ、その淵に沿ってカイザーク軍を表す青い駒の後ろに回す。ここまでは、私でも分かる流れだ。問題はその後。ホルター様はアックティカ、トスカリャの連合軍へと視線を向ける。「アックティカの戦力は、その殆どが民兵です。兵士も、繁忙期には農民として畑に出ます。その錬度は極めて低いでしょう」 そう言って、一部の赤い駒を後ろに下げる。「そのため、主戦力はトスカリャと見て間違いありません。大将首は首領、ダッツェ・バズ。十年連続で首領を務めている猛者です。しかし、戦となればこちらに利があります。一対一と多対多の違いを思い知るでしょう」 トスカリャの首
トスカリャに動きあり。 その報がもたらされたのは、陽射しが厳しさを増す夏至の事。奇しくも一年前の開戦と同じ時期だった。懸念していた山間トンネルがついに完成し、脅威がまたひとつ増えた事になる。まだ先と思われていたトンネルの開通は、クムト様が私達の元に来てから僅か数十日で強行され、多くの人命を飲み込んだ。 山を削るのは相当な労力を必要とし、自然の驚異を嫌が応にも思い知らされる。鉱山でさえ多くの犠牲が出るというのに、国を隔てる山脈を貫こうというのだからその数も膨大になるだろう。どれだけ補強に力を入れても不意に崩落が起こり、進めば進むほどに酸素は薄れ、有毒なガスが噴出する。 それは人間如きが適う相手ではなく、長い歴史の中でも成し遂げた者はいない。それをアックティカとトスカリャという小国がやり遂げたのだから、瞬く間に噂は広まり世界が震撼した。 鎖国で情報規制をしていたアックティカだけれど、トンネル開通だけは大々的に報じている。そして同時に、世界へ向けて宣戦布告を突きつけた。 いくら偉業を成し遂げたとはいえ、二国合わせても人口は三十万にも満たない。しかもその人口は、国全体を合算してなのだから戦に動員できるのは更に少なくなる。その中には戦えない女性や子供も含まれ、純粋な戦力はざっと見積もっても三万。ほとんどが民兵、そこに傭兵が加わるはずだ。 前回の戦では傭兵が一万強を占めていた。今回は新たにトスカリャの兵も加わる。前回よりも、訓練を受けた兵が増えると予想されていた。 私はと言えば、懐妊が確実なものとなり、徐々にお腹が大きくなってきている。アルは素より義両親である両陛下や両親、妹方、皆が喜んでくれていた。婚姻までのあと二年間が待ち遠しいと、既に準備は進められている。 一口に二年と言っても、王室の婚姻式となればそう気の早い話ではない。ドレスや装飾品は一流のものが使われるから、布地の選定、お針子や商人の人選など時間と手間がかかるのだ。 今、私に宿る命を迎える準備も同じ。肌着やおむつは厳選された素材が使われ、乳母はアルもお世話になった旧知の子爵婦人が選ばれた。この方はアルの遠縁で、先王の姪だそう
その後のアルの行動は早かった。 まず化粧品や衣服に使われている染料、石鹼や洗剤、香油まで成分を調べあげ、妊婦に良くない物を排除していく。特に香油は薬としても使われるし、料理に使われる香辛料も薬草としての側面があるから神経を尖らせていた。その食事も栄養豊富で、それでいてあっさりとした物に変え、果てには離宮を彩る植物まで徹底して堕胎に繋がる物を植え替えてしまう。 乳母はもちろん乳児に必要な品々まで、全て揃うのに一週間とかからなかった。私は何度も『まだ確定ではない』と言ったのだけれど、どちらにせよ必要な物だからとアルは譲らない。 私はネフィと打ち明けるのは早まったかと溜息を吐いたものだ。嬉しくない訳では決してない。アルは喜んでくれているし、陛下や王妃様も気遣ってくれる。だからこそ、余計にもし勘違いだったらと不安が募っていく。 そして王城の空気も、次第に緊張感が増してきた。 王太子の子供なのだ。男児であれば次期王太子、女児であれば他国との国交に繋がる可能性がある。 つまり、命を狙われるという事。 カイザークの人々は温厚だと言われているけれど、中には腰抜けだと侮る国も存在しているのは事実だ。この国は森を有し、海洋国家ルーベンダークとも近く、平時であればアックティカから豊富な農作物が手に入り、一年を通して飢えに苦しむ事が無い。気候も温暖で、立地に恵まれたこの国を狙う者も多いのだ。 そんな者達にとって、王位継承者の誕生は邪魔でしかない。 アックティカもそのひとつ。未だ交戦状態は続き、大きな戦にはなっていないけれど、国境では小競り合いが頻発していた。昼夜を問わず奇襲をかけ、兵の疲弊を誘っているのだろう。 そこに王太子妃懐妊の報が流れれば、暗殺も危惧された。アックティカに対する警戒は怠らないけれど、憂いは他にもある。それはアックティカの北方、雪の国トスカリャだ。 トスカリャは、アックティカと山脈で隔てられた陸の孤島。比較的温暖なアックティカと違い、山脈で遮られた寒気が停滞する極寒の地として知られる。 広大な国土は万年雪に覆われ、夏でも気温は







